虹の広場のあゆみ

2000年5月20日、「アットホームな交流」をモットーにした1つのホームページが誕生しました。
現在に至るまで、虹の広場がどういう歴史を歩んできたのか、ひも解いていくことにしましょう。

「KanonExpress(現:虹の広場)」ネット世界へ出現

私はネットしたのが2000年4月です。つまり、私がネットをはじめて1ヶ月でホームページをもったことになります。
最初は、アットホームなサークルめいたホームページができればなってスタートしたのが「虹の広場」をつくったきっかけです。
でも、開設前にはトラブル続きの連続でした。プロバイダさんに「掲示板のCGIの作り方ってわかりますか?」って聞かれて、「え?掲示板に絵が描けるんですか?」ってボケかましていました。私はCGIというのはCGの一種だと当時思っていたんです。アクセスカウンタもつけ方に四苦八苦し、どうしてもカウンタが表示されなかったり、表示されても1のまま動かなかった結局プロバイダに助けてもらっいました。アクセスカウンタをつけてもらって「1」が「2」になったときは感無量でした。掲示板も、私のプライベートの知人が使っていた掲示板が一番やりやすいだろうと思って何とか掲示板が動きました。ほかにも色々つけたかったのですが、スタートさせるが先決と思い、スタートさせました。

stkingyoさんとの出会い

常連がその後全く続かなくて悩んでいた時、現在の副管理人であるstkingyoさんとの出会いがありました。お互いこの当時、まさか管理人と副管理人の間柄になるとは思ってもいませんでした。

サイト名を「虹の広場」に改称

さて、このホームページは、Kanon・姫ちゃんのリボン・きんぎょ注意報!の三本柱で運営する予定でしたが、開設した当時、「Kanon」ファンが多く、HPタイトルにも、その名前を付けると訪問者アップになると思っていました。
実際その通りでしたが、運営していくうち、Kanonを発売するKEYもAIRを発売し、Kanon専門コンテンツは閉鎖の途をたどっていました。おまけに、私自身、「姫ちゃんのリボン」や「きんぎょ注意報!」のコンテンツは今でも揺るがない基板的なコンテンツでしたので、「KanonExpress」という名前には限界があると思いました。

stkingyoさんに伺って変えるなら早いほうがいいという意見をもらい、色々考えた結果現在の「虹の広場」という名前を決めました。
右は「虹の広場」と改名した頃のホームページです。ようやく今のコンテンツが出揃った時期だったんですよ。
ちょうど1万HIT突破したと喜んでいた時なんですね~。

「虹の広場」という名前を思いついたのはこういう理由があります。私が小さかった頃、大阪難波に「虹の街」(現在のなんばウォーク)という繁華地下街がありました。
ものすごくきれいな噴水があり、「緑の街」とかかなり綺麗なイメージがありました。今はカタカナ語ブームで噴水広場も「ロケット広場」とかいう名前に変わってしまってます。実はこの思い出の「虹の街」から取ったんです。それと、もうひとつ理由があります。

一部の人はメールでお話しているのでご存知ですが、私が「虹の広場」を作る前、学生時代2回サークルの幹事になったことがあります。
そこで学んだのは「サークル内で新しい友人関係が発生すること」です。
あと、わがままさがかたよったり、自分の運営理念に賛同しない人は入ってくるなという人とも一緒にサークル活動したことがありますがすべて失敗しました。
前者はサークルメンバーが愛想をつかし、ケンカ寸前までいったことがあります。
後者は運営方針に賛同した仲間同士という意味で一見よさそうな気がしますが、メンバーの意見は一切きかないんですよ。
間違ったことでもそれが運営方針だから従わざるを得ない。
あと、メンバーの意見ばかり尊重して自主意見が全然ない管理者も問題ですがね。
「虹の広場」には私のこういった苦い経験から、どういうサイトがいいか、運営理念を決めていきました。分かってきたかもしれませんが、「虹の広場」というサイト名には実は運営理念が込められているんですよ。
え?「虹の広場」って上のように大阪の「虹の街」からとったって言っていたじゃないか?という方もおられるでしょう。事実間違いじゃないです。名前の雰囲気などとしては最高の参考名であったので間違いではないですが。つまり虹の広場の意味はこういうことです。

「虹」は7色、
つまり「色々な性格・情報を持ち合わせる仲間」ということ。
「広場」はそこで活動する場所ということ。

つまり、色々な性格の人同志が一つの場所(うちのサイト)で情報提供をしあって、時には励まし、時には何かを得て楽しくアットホームに活動できる場でありたいという意味です。
「虹の広場」は上下・年齢・性別関係なく、一つの輪の中で喜怒哀楽を分かち合える家族的な友達集団サイト的なサイトでありたいということでこの名前をつけました。

副管理人、stkingyoさんの任命

「虹の広場」と改名してしばらくして以降、新たな問題が発生しました。それは、私が仕事の関係上下宿することになり、平日インターネットができなくなるという事態になったわけです。今はそんなことはないですが、当時は下宿先ではインターネットができない状態になり、管理人として管理体制がずさんになりかねず、私として非常に問題となっていたわけです。おまけに仕事が忙しく「虹の広場」に副管理人が必要という事態に陥りました。

色々常連さんで候補はいましたが、色々考えた結果、stkingyoさんが副管理人としてふさわしいのではないかという結論に達しました。
stkingyoさんとは、当時、交流歴は半年も満たなかったかったんですが、交流が一番深かったし、アニメ属性という当時ゲーム属性であった私と相反する属性だったのでバランスのよい話題を提供しあえる。あとは、お互いの持つ性格上互いにカバーしあえるというのが副管理人選任の決め手でした。

ただ、不安はあったのは事実です。当時の常連だった、ももんがさんや雪桜彼方(当時は瑠璃さん)など比べて当時私に限っては彼とはメールでは一番多くやり取りしていましたが、「虹の広場」への出現率はとても常連といえないほど、極めて低かったため、当時高校生だったということもあり、副管理人という役がどれだけつとまるか、正直未知数だったからです。
でも、stkingyoさんと接してきてその好奇心が旺盛だったとか頭脳回転が早い(本人は否定してますが^^;)と言うことにはものすごく感心したものもあり、副管理人をお願いしたわけです。

でも、今ではstkingyoさんに副管理人をやってもらって私もかなり助かっています。下でも述べますが、ふじみやさんがアイコン掲示板のアイコンを描画していただくことやこのstkingyoさんが副管理人になってもらうことなど、一つでも成功しなかったら、「虹の広場」というものがまったく違ったサイトになっていたかもしれません。
1人では解決できない問題とか結構stkingyoさんの意見が役立ちますし、常連さんカウンターや掲示板が賑わっているのもどちらかというとstkingyoさんのおかげだと思います。
ギャルゲー界では私以上の功績を残してくれていますし、AV機器では本当にすごい能力をお持ちです。stkingyoさんの成長ぶりは副管理人になって以降手にとるように分かってきています。
そして、現在はお互い管理人同士、対等に話しできる立場になっています。基本的には私が企画案を出して、stkingyoさんがその企画の採否を決めるというやり方です。「虹の広場」の運営は私は管理人ですが、大きな行事、プロジェクトはstkingyoさんたちと決めています。

ふじみやいつやさん、姫ちゃんの人さん、じんべいさんの常連化

一人の新しい常連さんが入ってきたことが「虹の広場」の転換期のきっかけとなります。それは富士宮乙夜(現:ふじみやいつや)さんが「虹の広場」にあいさつに来たことがはじまりとなります。この方、ホームページをお持ちで、「きんぎょ注意報!」と「姫ちゃんのリボン」ファンのCG描きさんということなんです。
当時、アイコン掲示板をメイン掲示板で模索していた私は、初めて交流を持った方なのに、失礼を承知で「きんぎょ注意報!」と「姫ちゃんのリボン」のアイコンを描いてくれるようお願いしました。結果は吉と出て承諾してくださいました。この時、ふじみやさんにどれだけ感謝したか分かりません。でも、もしこの時ふじみやさんに拒否されていたらと思うと「虹の広場」はまったく違う運命をたどっていたと思います。
ふじみやさんは今でも初対面同然なのにアイコン描画を依頼してきたことにびっくりしたと笑い話として言っていますが、逆にこのことが私と藤宮更夜さんの交流を深めたわけですから、ある意味両者にとって大事件だったと思います。

そのアイコン掲示板を開設して以降、「虹の広場」で重要な存在となっていく常連さんが新しく挨拶に来られました。それがじんべいさんです。
もともと、私と親交深い常連のあたみさんの学生時代からの親友であるじんべいさんがまったくあたみさんの紹介を経ずに別ルートで偶然にも「虹の広場」にたどり着いたと言う事実もすごいのですが、彼の掲示板での情報のすごさにさすがに私も驚きました。このじんべいさんの影響で掲示板のカキコ量が増えた方がおられます。もちろん、あたみさんもそうですが、姫ちゃんの人さんです。姫ちゃんの人さんは今まで、「キリ番」と、「姫ちゃんのリボン」の論文オンリーでした。以降姫ちゃんの人さんの掲示板のカキコ量が増えて行ったのも事実です。あと、ももんがさんとstkingyoさんがそのムードに追随するように書き込み量が増えていきましたももんがさんとstkingyoさんはどちらかというと、チャットのイメージが強かったです。お二方は掲示板ではあまり姿を見せない方だったですから。私もレスに苦しむくらいちょっと高度で難しい話題もありましたが掲示板自体は今のように色々な話題で日々盛り上がっていきました。
私も前回のKanon掲示板での衰退という苦い経験をバネにして、レスを心がけ、自らも率先してスレッドもたてるようにしていました。こうして、これ以降現在に至るまで掲示板では長期の閑散状態というものがなくなり、私やstkingyoさんや色々な常連さんが盛り上げてくれ、現在に至っています。

「新たな常連さん -2003年 虹の広場の新体制へ-」

この年は新しい常連さんに恵まれた年でもあります。
すべてのスタートは、虹の広場でもスタッフ的立場にあった姫ちゃんの人さんが、ネットから離れるかもしれない。という3月の定例会の衝撃的な事件が起こったことからはじまります。しかし、これが同時に虹の広場が第2の盛り上がりになっていくきっかけとなっていくのです。

副管理人のstkingyoさんが「KEYOfficialHomepage」にて、掲示板によく出没していたせいか、このホームページが縁で知り合った常連さんが次々と虹の広場を訪れることになります。

まずは、有季月 浩さん。4月に、stkingyoさんのメール交換していたという経由で虹の広場の存在を知った方です。しかし、これが虹の広場の新入り常連さんラッシュのスタートでありました。
この、有季月 浩さんが春に訪問されたのを皮切りに、6月にはシィルさん、8月にはシュウジさん、9月には紅茶すらいむさんと雪月華さん、11月にはさたどらさんという5名の常連さんが訪問されました。
更に、5月には姫ちゃんの人さんも復帰され、以前より更にパワーアップした「虹の広場」体制がスタートします。
stkingyoさんだけではなく、虹の広場の旧来の常連さん経由で来られた方もいます。

まずは、シィルさんですが、この方は姫ちゃんの人さんの紹介で「虹の広場」の存在を知り、常連となってくれた方です。更にさたどらさんは、彼が師匠と仰ぐ、藤宮更夜さんが運営するサイト経由で「虹の広場」の存在を知ることになります。

紅茶すらいむさんも雪月華さんも虹の広場を積極的に盛り上げてくれていますし、さたどらさんもふじみやさん並のパワーで盛り上がって現在に至っています。

また、少女漫画系で訪問された、シィルさんとstkingyoさん経由で知り合ったシュウジさんがメッセで親しくなられるなど、虹の広場の存在と言うのもかなり大きなものであるなと感じざるを得ません。
さらに、この常連さんの盛り上がりにおいて、旧来の常連で、ご無沙汰の感があった、じんべいさんや雪桜彼方さんも復帰し、姫ちゃんの人さんも復帰され、新旧の常連さんの意思疎通が盛り上がっていった時期でもあります。
それと、この年には、常連対象にしたオフ会を行う足がかりとなる初めての公式オフ会もスタートし、「虹の広場」が新しい転換期に入ったことを意味します。

2012年 「たまゆら」「聖地巡礼」がコンテンツに。新しい虹の広場へ

虹の広場が開設して10年を超えた2012年、「虹の広場」も大きく様変わりを行いました。
管理人の諸事情で閑散化してしまった「虹の広場」。
また10年前にはなかったスマホ・タブレット・Twitterという急激な新しいアイテム・コンテンツが登場してきています。
数年前には皆さんのために公開していたデジタルの話も時代の変化とともに古いコンテンツになってしまったため、非公開を余儀なくされます(一部は旧として残すことを検討中です)。

そんな中、私の中で「たまゆら」と「聖地巡礼」という2つの新しい趣向が芽生えます。
特に「たまゆら」は久しぶりに私の中でヒットした作品であり、「虹の広場」を大きく改装するにはぴったりなアイテムとなりました。
2013年にはサイバー攻撃に合うなど色々な受難も受けましたが、Wordpress化して大きく進化しました。

「姫ちゃんのリボン・きんぎょ注意報!をベースとして、色々な性格の人同志が一つの場所(うちのサイト)で情報提供をしあって、時には励まし、時には何かを得て楽しくアットホームに活動できる場でありたい。
「たまゆら」のように一度訪問された方が何年かして「おかえりなさい」と迎えられるアットホームなサイトであること。

時代が変化してもこの部分は開設以来変わらず、守り続けています。

トップページ画像で振り返る「虹の広場」

 

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2000年5月20日(開設時) 2000年6月25日
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2001年1月4日 2001年7月14日(トップCGはまいすさん画)
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2002年10月10日 2003年1月24日(トップページは藤宮更夜さん画)
20040119  Capture 211910
2004年1月19日
 2009年5月20日
(トップページはMINさん画)